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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)6910号 判決

主文

一  被告らは原告に対し、各自金二〇〇万円及びこれに対する昭和五二年一月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四〇分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金九四一三万二八五三円及びこれに対する昭和五二年一月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は昭和四年四月一九日生まれで、本件事故発生までは健康な成人男性であった。

(二) 被告医療法人同仁会(以下「被告同仁会」という。)は耳原総合病院を経営している。

(三) 被告東晴彦(以下「被告東」という。)は本件事故発生当時、被告同仁会に雇用され、耳原総合病院の整形外科を担当していた医師である。

2  医療事故の発生及び経過

(一) 原告は昭和三八年からいわゆるとび職として健康に労働に従事していたが、昭和五〇年秋ころ右下肢に軽度の歩行障害を来した。しかし、日常生活には支障がなく、症状が悪化することもなかったため、原告は診断を受けずに右障害を約一年間放置していたが、たまたま仕事量が減り時間的余裕ができたので昭和五一年一一月一九日耳原総合病院の整形外科に赴き被告東の診察を受けた。

(二) 初診時、被告東は筋萎縮性側索硬化症の疑いにより約三か月の加療を要すると診断し、「首の手術を行う必要がある。リハビリより早く治る。」と手術の施行を示唆した。

同月二六日、被告東は、大阪市立大学付属病院の筋電図検査結果も参考にして頸椎後縦靱帯骨化症と診断を変更して、原告に対し早期手術の必要性を強調した。

原告は、頸部の手術と聞き不安を訴えたが、被告東は、簡単な手術で術後半年もすれば容易に社会復帰できると強く手術を勧めた。

そこで、原告も時間的余裕のあるうちに完治したほうがよいと考え、同年一二月一八日耳原総合病院に入院した。

(三) 被告東は手術部位の確定等のために昭和五二年一月七日に脊髄腔造影法(ミエログラフィー)の施行を予定していたが、当日原告が発熱したためにこれを中止し、これを行わないまま被告東の執刀で同月二七日頸椎椎弓切除の手術を行った。

手術の術式は桐田式広範囲同時除圧法であって、後方から侵入してまず第四頸椎から第六頸椎までの椎弓を切除し硬膜を露出したところ、本来ならば拍動が見られるはずがこれがなかったため、被告東は神経ベラを使用して硬膜を押さえるなどして拍動の有無を確かめ、更に神経ベラを残存した椎弓と硬膜との間に挿入して隙間の程度を調べた後、第三頸椎椎弓を下縁から切除してゆき、半分切除したところで硬膜が膨隆して拍動が現れたので手術を終了した。

(四) ところが、手術中の前記のような神経ベラの操作によって脊髄が損傷し、あるいは硬膜が膨隆した際に残存した椎弓によって脊髄が損傷したため、手術直後から原告には四肢の知覚麻痺、運動麻痺が生じ、原告の意思では動かなくなった。その後、被告東の指示によりリハビリテーションや針灸治療を重ねたが麻痺は回復せず、昭和五三年四月ころには一人で歩行すること、片足で立つこと、新聞紙をつまむこと、週刊誌を握ることなども全くできない状態であった。

(五) 昭和五三年一二月一五日、原告は歩行障害及び知覚障害につき厚生年金保険法障害等級二級の身体障害者であると認定され、大阪府より障害者手帳の交付を受けた。

(六) 昭和五五年になっても原告の症状は軽快せず、そのまま症状固定に至り、同年八月三一日耳原総合病院を退院し、翌九月一日重度身体障害者授産施設「希望の園」に入院し、現在に至っている。

3  被告らの責任

(一) 被告東の過失

(1) 変性した脊髄は易損性が極めて高く、些細な機械的刺激であっても重大な麻痺につながるから、後方から硬膜を押さえることは絶対に避けるべきであるにもかかわらず、被告東は、一旦第四頸椎ないし第六頸椎の椎弓を切除した後、硬膜に拍動がみえないので神経ベラで硬膜を押さえたり硬膜と椎弓の隙間を調べたりしたため、原告の脊髄に損傷を与えた。

(2) 椎弓切除の手術には、手術手技の選択・進入路の選択・切除部位の確定等のため脊髄腔造影法(ミエログラフィー)による検査が不可欠であり、特に桐田式広範囲同時除圧法は除圧時に硬膜が膨隆して残存した椎弓によって脊髄が損傷するのを防止する目的で考案された方法であって、ミエログラフィーによって圧迫が存する部位を確認してそれよりも一ないし一・五椎弓広く切除するというものであるにもかかわらず、被告東は原告に対しミエログラフィーによる検査を施行せず、その結果切除部位の判断を誤り手術の途中で追加椎弓切除をせざるを得ず、これによって原告の脊髄に損傷を与えた。

(二) 被告同仁会の責任

被告同仁会は、被告東の使用者として不法行為上の責任を負う。

4  損害

(一) 逸失利益

金四七八〇万三〇五二円

原告は本件事故によって労働能力を完全に喪失したものであるが、本件事故がなければ少なくとも満六七歳までの二〇年間就労し男子労働者の平均賃金程度の収入を得ることができたはずであり、これを昭和五二年度賃金センサス第一巻第一表男子労働者学歴計の満四七歳の平均年収額に基づきホフマン式計算法で中間利息を差し引いて得べかりし利益の現価を計算すると金四七八〇万三〇五二円になる。

三五一万八〇〇円(年収額)×一三・六一六(ホフマン係数)=四七八〇万三〇五二円

(二) 慰謝料 金一五〇〇万円

原告は昭和三八年に九州に家族を残して出稼ぎ労働者として来阪し、家族にまとまった金員を持ち帰ることを目標に、日常生活を切り詰めて貯金をしていたものであり、本件事故の直前には家族のもとへ帰る見通しも立ちかけていたところであった。ところが、本件事故によって、故郷に帰るという原告の夢はついえ、貯金も入院生活で使い果してしまったのであって、このような結果に対する原告の無念さは言語につくし難い。また、被告東の原告に対する説明・態度等は誠意に欠けるところがあり、このような事情をも考慮して原告の被った精神的損害を金銭に評価すれば金一五〇〇万円を下らない。

(三) 入院諸雑費 金一三一万円

原告は本件事故の翌日である昭和五二年一月二八日から昭和五五年八月三一日までの一三一〇日間耳原総合病院に入院していたところ、入院中の必要経費は一日金一〇〇〇円を下らないから、合計一三一万円の損害を被った。

(四) 付添看護費用

金二五七三万九八〇〇円

原告は現在重度身体障害者授産施設「希望の園」において看護人の世話によって日常生活を行い、かつ、ここで習得した印刷技術をもって作業を行っているものであるが、施設の性質上技能を習得した身体障害者は卒園して社会に出ることになっており、原告も近い将来卒園の必要がある。その場合、日常生活のためには自費をもって付添看護人を頼む必要があり、遅くとも昭和六二年四月一日から日額五〇〇〇円を下らない付添看護費用が必要である。この将来の付添看護費用を、原告の昭和六二年四月一日における年令(満五七歳)と平均余命(二一年)に基づき、ホフマン式計算法で中間利息を差し引くと、金二五七三万九八〇〇円となる。

五〇〇〇×三六五×一四・一〇四(ホフマン係数)=二五七三万九八〇〇円

(五) 弁護士費用 金五〇〇万円

原告は本訴の提起遂行を弁護士たる原告訴訟代理人に委任せざるを得なかったところ、本件の内容等に照らし、弁護士費用として金五〇〇万円が相当である。

5  よって、原告は、被告らに対してそれぞれ不法行為責任に基づき(ただし、被告同仁会に対しては民法七一五条一項の使用者責任)それぞれ前記損害額の合計である金九四一三万二八五三円及びこれに対する不法行為の日の翌日である昭和五二年一月二八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)は原告の生年月日・性別は認めるがその余は否認する。同(二)、(三)は認める。

2  請求原因2の(一)は受診日と診察医は認めるが、その余は否認する。

同(二)のうち、被告東が初診時筋萎縮性側索硬化症を疑ったこと、市大病院で筋電検査を受けさせたこと、手術が必要になりうることを説明しその後術前に疾患や手術に不要な恐怖を持たないよう説明したことは認めるが、二六日に診断を変えたこと及び術後半年で社会復帰できる等と述べたとの点は否認する。原告は入院中の硬化症患者の悲惨な状況を知り強く恐れていたため、それとは異なることは説明したものである。なお、術前の診断は厳密には圧迫性脊髄障害であった(頸椎後縦靱帯骨化症はその代表的なものである。)。

(三)のうち、手術中拍動を調べるため硬膜を押さえたことは否認し、その余は認める。押さえたのではなく、極めて愛護的に触ったにすぎない。

(四)のうち、手術直後に運動麻痺や知覚麻痺が生じたこと及び被告東の指示でリハビリテーションを行ったことは認めるが、その余は否認する。手術直後の症状は術後の浮腫による一時的なものにすぎず、その後障害は着実に改善していた。後に再び症状が悪化してきたのは、原告がたびたび転倒したことや手術後の瘢痕組織の形成、更には原告自身がリハビリテーションを怠ったこと等が原因と考えられる。

(五)、(六)は認める。

3  請求原因3の(一)はすべて争う。

(1) 硬膜に対する操作によって脊髄に損傷を与えたことは否認する。神経ベラの操作は十分慎重に行っている。また、当時の医療水準では後方から硬膜を押さえることは絶対に避けるべきだというような認識は一般にはなかった。

(2) 術前のミエログラフィーによる検査が望ましいことは認めるが、その効果は絶対的なものではない。本件でもその実施を予定していたが、直前に原告が発熱したため中止し、その後の原告の切迫した症状増悪などの事情からミエログラフィーを行わないで手術に踏み切ったものである。当時はミエログラフィーに使用する油性造影剤の副作用が問題になっていた時期でもあった。追加切除によって脊髄を損傷したことはなかったし、また当時及び現在の医療水準でも追加切除で脊髄損傷の危険が高くなるとはされていない。

同(二)は争う。

4  請求原因4はすべて争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一  当事者

請求原因1(一)のうち、原告の生年月日及び性別については当事者間に争いがなく、同(二)及び(三)の各事実も当事者間に争いがない。

二  医療事故の発生及び経過

1  請求原因2のうち、まず当事者間に争いがない事実は以下のとおりである。

原告は昭和五一年一一月一九日耳原総合病院の整形外科において被告東の診察を受けたところ、頸椎椎弓切除の手術を受けるよう勧められ、同年一二月一八日同病院に入院した(その間大阪市立大学付属病院で筋電図検査を受けるなどしている。)こと、被告東は昭和五三年一月七日に脊髄腔造影法(ミエログラフィー)の実施を予定していたが、当日原告が発熱したために中止し、これを行わないまま同月二七日に手術を行ったこと、右手術の術式は桐田式広範囲同時除圧法と呼ばれるものであって、被告東は当初この方法で第四ないし第六頸椎を切除して硬膜を露出させたが、拍動が見られなかったので神経ベラ(細い金属性のスプーン様の器具)をもちいて硬膜を調べ、更にこれで硬膜と残存している椎弓との間の隙間の程度を調べた後、第三頸椎の下縁から再び切除していったところ半分ほど切除したところで硬膜が膨隆して拍動が現れたので手術を終了したこと、手術直後に原告の四肢に運動麻痺や知覚麻痺などの障害が生じたこと、原告は同病院においてリハビリテーションを行ったこと、昭和五三年一二月一五日原告は歩行障害及び知覚障害により二級の身体障害者であると大阪府から認定されたこと、昭和五五年原告は症状固定し、同年八月三一日に同病院を退院して翌九月一日重度身体障害者授産施設「希望の園」に入園して現在にいたっていること。

2  右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると次の各事実を認めることができる。

(一)  原告は昭和四八年ころから右の足首に捻挫したような異常を感じるようになり、昭和五〇年夏ころには他人から右足を引きずっていると指摘されるまでになり、その後つまずきやすくなったり右手にもしびれなどの異常を覚えることもあったが、日常生活に特に不便がなく、仕事も一応こなせたのでしばらくこれを放置していた。しかし、勤め先の社長から診察を受けるよう勧められたことなどもあって、昭和五一年一一月一九日に耳原総合病院整形外科を受診した。

(二)  被告東は昭和四〇年に医師資格を取得した整形外科医で、昭和四四年四月から昭和五四年三月末日まで耳原総合病院の整形外科医長を勤めていた。被告東は一般整形外科や運動外傷外科を担当し特に手に関する分野を専門としていたが、頸部の手術の執刀も経験したことがあり、うち椎弓切除の執刀経験は一例であった。

(三)  被告東は原告に対して問診や歩行状態の観察を行い、その結果痙性歩行、足間代(足のクロヌス反応)、膝蓋間代(膝蓋のクロヌス反応)、トレムナー反射やホフマン反射などの異常反射、右膝の反張膝や落下足など筋力の低下に基づく症状、手等の知覚障害等が生じていると認め、これから頸椎高位の脊髄部分に障害があるのではないかと推測し、頸部の単純及び断層レントゲン撮影を行った。これらのレントゲン写真には、第六・第七頸椎間の椎間腔が狭小化しており、当該椎間の前方及び後方並びに第五頸椎の前下縁に骨棘の形成が見られた。また一部には第二ないし第三頸椎の後方に骨化像らしき陰影が窺われる写真もあるがこれは断定できるほどではない。

被告東はレントゲンに現れている圧迫因子の程度に比べて症状が強いことから、筋ジストロフィーや筋萎縮性側索硬化症の疑いもあると考え、血液検査を行ったり、大阪市立大学付属病院に筋電図検査を依頼したりもした。しかし、結局はこれら検査の結果や諸症状からしてやはり頸椎高位の脊髄圧迫症候群(頸髄症)の一であって、手術による除圧が適当な治療であると判断して、原告に入院を勧めた。原告は同年一二月一八日に入院したが、入院時の診療録に記載する病名はとりあえず脊髄圧迫障害の代表的なものである頸椎後縦靭帯化症とした。

(四)  被告東は原告の入院の当初から手術適応があると考えていたが、保存的療法も一応試してみる価値はあると思い、昭和五二年一月八日からその一である牽引を実施した。しかし、これははかばかしい成果を収めなかった。

これと並行して、被告東は同月七日に脊髄腔造影(ミエログラフィー)を予定していたが、当日原告が発熱したのでこれを中止した。ミエログラフィーは、うつぶせに寝かせた患者の脊髄腔に造影剤(当時は油性)を注入してレントゲン撮影するというもので、造影剤の通過状況から通過障害の部位や程度を知るという補助診断法である。その後、手術までの間に被告東は再びミエログラフィーを実施しようとはしなかったが、特に支障となるような事情があったわけではない。

被告東は、同僚の越宗正晃医師とも相談の上、原告に対して桐田式広範囲同時除圧法による椎弓切除の手術を同月二七日に行うことを決定した。この桐田式広範囲同時除圧法は桐田良人医師の開発した後縦靭帯骨化症等の脊髄障害に対する手術法で、サージ・エアトーム(エアドリル)を使用することや、除圧時の硬膜の膨隆の際残存した椎弓で脊髄が損傷されることを防止するため椎弓を広く同時に切除する点に特色があり、切除の範囲は、第三ないし第七頸椎まで、あるいは圧迫部分から一ないし一・五椎弓多く取るとされていた。以前には椎弓切除の手術はスタンツエやのみ等を用いて行われたため易損性の高い脊髄の損傷を招きやすく、危険で高度の技術を要するとされていたが、この桐田式広範囲同時除圧法によれば慎重に行えばある程度の経験のある整形外科医なら安全に行えるとして、当時多く採用されていたものであった。

(五)  手術は執刀医は被告東、助手は前記越宗医師、牧野病院の新井医師及び大阪市立大学付属病院の尾原医師で、他に麻酔医二名が立ち会って行われた。

被告東らは、頸椎椎弓を露出した後、サージ・エアトームを用いて第四ないし第六頸椎の椎弓を切除して硬膜を露出させたところ、除圧が完成したならここで硬膜が膨隆して拍動が生ずるはずであるのに、硬膜は弛緩した状態で拍動が見られなかった。そこで、被告東は神経ベラを使用して、そっと硬膜を触って緊張の状態を調べ、更に神経ベラを残存した椎弓と硬膜の間に少し挿入するなどして隙間の程度を見たところ、上方の黄色靭帯が肥厚して脊髄を圧迫しているらしい所見が見られたので、第三頸椎椎弓の下縁から半分位を切除し、黄色靭帯をも切離したところ硬膜は膨隆して拍動が認められ、そこで椎弓切除を終了して手術を終わった。なお、出血を予防するために被告東は骨ろう(ボーン・ワックス)やオキシセル(オキツセル)を用いた。

(六)  手術の直後から原告には手指や下肢が屈曲しにくくなるなど四肢に運動麻痺が認められるようになり、以前には特に異常のなかった左上肢も動かなくなった。同年一月二九日の検査によると、左上肢は肩関節が動かず、肘・手関節はわずかに動く程度で、バビンスキー反射も陽性であったが、ホフマン反射やトレムナー反射は軽減し、知覚障害もなく、深部知覚・振動覚ともに良好に保たれていた。被告東は、これらの症状は術後の浮腫や出血に起因する一過的な麻痺である可能性が高いとは思ったが、一応脳外科の長尾医師に原告を診察してもらうなどもした。

(七)  原告の症状は手術の四日後である同月三一日には回復の兆しを見せ、右手はベルを押せるようになり、左手も力は入らないものの手指の屈曲等が可能で、下肢の屈伸も可能になった。同年二月二四日から起立訓練が、同年三月三日から歩行訓練が、同月二六日から階段昇降訓練が開始され、原告は熱心にこれらリハビリテーションに取り組み、その結果同年一一月には階段四〇段の昇降が、昭和五三年五月には歩行器なしの歩行が、同年八月には歩行器なしで二三メートル先の面会室まで三往復もできるようになった。上肢にもだんだん力が入るようになり、手術後始められた握力検査では昭和五三年八月二三日に右三六キログラム・左二〇キログラムの成績を、また同年九月一三日には右二九キログラム・左二四キログラムの成績を挙げている(成人男性の平均は約四〇キログラム)。

しかし、例えば昭和五三年一一月当時でも原告の歩行の状態は上半身のバランスが悪くふらつきがあり、完全な下肢機能の回復には至らず、歩行中たびたび転倒してもいる。そして、昭和五三年八月ころから両下肢のしめつけ感が出現して次第に(特に昭和五四年夏以降)増強し、同時に疼痛や倦怠感などの愁訴も加わり、昭和五四年四月には左下肢が動きにくくなるなど一旦回復傾向をみせていた機能も再び衰えてきた。昭和五四年九月段階では、徒手筋力テスト(正常値は五プラス)は右上肢が三プラスないし五マイナス・左上肢三プラスないし四プラスであり、握力は右二四キログラム・左一六・五キログラム、歩行はT型杖を使用して約三〇メートル、杖なしでは五ないし六歩可能な程度であって、下肢の深部知覚の低下があった。

昭和五五年にはいると上下肢のしめつけ感はかなり強くなり、同年四月にはコップを持つ感覚がなくなり、七月には独歩不能になった。そしてそのまま同年八月三一日に退院した。

(八)  原告は入院中たびたび転倒し、また後頭部を圧迫する事故もあったが、昭和五二年四月三日の後頭部圧迫の際上半身に電撃痛があったものの、その他の場合はそのような痛みはなく、また昭和五二年四月三日の場合も含めて事故の直後に麻痺が生じたというような事情もなかった。

(九)  被告東は昭和五二年一一月二〇日と同年一二月八日に前方からの圧迫因子を除くため前方固定術の一であるクロワード手術を予定したが、原告の希望により中止した。

3(一)  以上認定の各事実に反して、原告は手術直後から現在まで運動麻痺や知覚麻痺の状態にほとんど変化はなく、一旦歩行ができるようになったのは機能が回復したのではなくて慣れによるものにすぎないと主張し、〈証拠〉中にはこれに副うかのごとき部分があり、〈証拠〉中にもリハビリテーションの中で歩行や階段昇降ができたといってもそれは手すりや歩行器にしがみついてなしたものであって、その程度のことならば現在でも可能である旨の供述があり、確かに〈証拠〉によれば歩行の際は歩行器や手すりを利用していたことが多いことは窺われる。

しかし、〈証拠〉には、T型杖のみによって歩行が可能であった時期もあるとの記載があり(例えば〈証拠〉中の昭和五二年一二月一九日付の欄では階段を昇るときは手すりを使用していないことが窺われるし、他にも〈同証拠〉中杖歩行をしている旨の記載がたびたびある。)、更に杖なしでも少しは歩けた時期があるとの記載もある(例えば〈証拠〉中の昭和五四年二月九日付の欄には杖なしでまっすぐ五メートルほど歩ける旨の記載がある。)ところ、右診療録や看護記録は日付の当時に医師や看護婦の手で記載されたものであってその内容に信用性が高いのに対し、前記原告本人の供述は当時からかなり時間が経過した後のものであってあいまいな部分もあるし、主観によって記憶がゆがめられている可能性も高く、〈証拠〉に反する前記供述部分はにわかに信用できない。

〈証拠〉も、主として一般論を述べたものであって、本件には全面的には採用できない。

しかも〈証拠〉によれば、握力は手術直後はほとんどなかったのに昭和五三年八、九月ころには前記認定のとおりの回復を示していることが認められるが、このような筋力の増強は慣れだけでは説明できるものではなく、実際に機能回復が生じていたことの証左であるといえる。他に原告の主張を裏付ける証拠もなく、したがって右主張を採用することはできない。

(二)  また、〈証拠〉中には、原告の病名は頸部脊椎骨軟骨症であって、椎管前後径は約一四ミリメートルであるから脊椎管の狭窄はない(椎管前後径一二ミリメートル以下が狭窄)旨の供述部分があるが、一方〈証拠〉中には手術前のX線写真からみて原告の第四ないし第五頸椎レベルにおける椎管前後径は一一ミリメートルである旨の供述部分があり、他方では〈証拠〉中には術前のX線写真によっては脊柱管の計測はできないとの供述部分もあって、これらに照らすと、結局狭窄の程度は不明と言わざるを得ず、病名についても〈証拠〉を総合すると必ずしも頸部脊椎骨軟骨症(これも脊髄圧迫症候群の一である。)と断定できるものではなく、前記供述部分は採用することができない。

(三)  〈証拠〉には、原告は術前膀胱直腸障害があった旨の供述部分があるが、〈証拠〉によれば原告は便秘になったことはあったが自律排尿排便ができていたことは明らかであり、〈証拠〉は信用できない。

他に、前記2項の各認定事実を覆すに足りる証拠もない。

4  以上を前提に、まず手術直後から現在に至る原告の症状の発生の機序について検討する。

原告は現在の運動麻痺や知覚麻痺は手術直後から生じているものであり、術中の機械的刺激によって脊髄損傷が生じたことが原因である旨主張し、これに対して被告らは術後一旦浮腫によって一過的な麻痺が生じたがこれは回復し、その後に転倒事故や術後瘢痕組織の形成によって再び悪化したか、あるいは原告がリハビリテーションを怠ったために機能回復ができなかったものである旨主張している。

前記認定のとおり、原告の症状は手術後には一部改善された部分もあるが、運動麻痺・知覚麻痺が出現するなど全体的には悪化し、その後ある程度の回復を見たものの決して順調とは言えず、再び症状は悪化し現在に至っており、その経過はかなり複雑である。

そこでまず、手術直後から出現した運動麻痺・知覚麻痺などの新たな神経障害の原因を検討してみる。この点について被告らは、前記のとおり手術後の浮腫による障害であると主張し、〈証拠〉によると、本件でも少なくともその症状の一部は浮腫による可能性は高いと考えられる。しかし、同時に右各証拠によれば、手術後生じる浮腫による障害はほとんど一過性のものであって、浮腫が消失する遅くとも数か月後には症状は急速に改善するのが通常であると認められるが、原告の症状の経過をみると、手術後一年経過した頃においても歩行器ないし杖なしでの歩行は困難であり、被告東も再度クロワード手術を予定するなどしているごとく、満足できる改善を示しているとは到底認められない。鑑定人玉置は、このような症状の経過などから、きわめて重篤とされる程度ではないが、本件手術あるいはその関連操作を含むなんらかの機序により脊髄に不全負傷が生じ、これが手術直後からの運動障害の原因となったと判断される旨鑑定し、証人としても同趣旨の供述をしている。これらの証拠によれば、右の手術あるいはその関連操作などにより脊髄に不全損傷が生じ、それが右症状の原因となった可能性は高いものと認められる。もっとも前記のとおり初期のころは浮腫の可能性も否定できないし、更に鑑定人玉置は証人として浮腫が一部症状が固定させる可能性もあるむね供述している。

次に、一旦回復傾向を示していた原告の症状が再び悪化し現在に至った原因については、〈証拠〉には、昭和五三年八月ころから発現し増強してきた下肢等のしめつけ感は頸髄圧迫の際多い愁訴であるから、新たな圧迫が加わってきたものと考えられ、その要因としては椎弓切除部被覆瘢痕組織(ラミネクトミー・メンブラン)の可能性が高い旨いう部分があり、この見解はかなり説得力を持っていると考えられるが、そのとおりであると断定することができるほど証拠があるわけではない。

被告らは右瘢痕組織以外にも転倒等の事故も悪化の原因であると主張するが、〈証拠〉によればこれら事故によって脊髄損傷が発生した場合は事故と同時に電撃痛があったり麻痺が発生するはずであるが、前記認定のように本件においては電撃痛があったのは一回だけであり、その場合を含めて事故直後に麻痺が発生したりするような状況はなかったのであるから、被告の右主張を採用することはできない。しかしながら、〈証拠〉によれば、広範囲に頸椎椎弓を切除した場合、頸椎の可動性が高まり、何回も繰り返す動作によって徐々に脊髄が損傷されることがあり得ることが認められ、その意味では転倒等の事故も含め様々な動作が原告の脊髄に微細な損傷を加えていった可能性まで否定することはできない。

〈証拠〉によれば、その他に症状増悪因子として、頸椎アライメント(配置)の変化や骨性圧迫因子の増大などがあることが認められるが、〈証拠〉によれば特にこれらの出現を示すような資料は認められず、本件においてその可能性は少ないことが認められる。結局いずれも決定的といえるようなものではなく、原告の症状が再び悪化した原因は不明と言わざるを得ないが、瘢痕組織による新たな頸髄圧迫や微細な損傷の積み重ねあるいは両者の合併による可能性が比較的高いと認められる。

以上を総合すると、手術直後に生じた運動麻痺・知覚麻痺の原因の一は手術に起因する脊髄の不全損傷であったと考えられるが、これに当初は浮腫による症状も加っていた可能性も高く、これらの症状は一旦回復傾向にあったが、何らかの原因(瘢痕組織による新たな頸髄圧迫や微細な損傷の積み重ねあるい両者の合併による可能性が比較的高い。)によって再び症状が悪化して現在に至ったものと認められる。右認定を覆すに足る証拠はない。

三  因果関係及び被告東の責任

1  原告は、原告の前記の機序による症状悪化の原因について、被告東が、手術中に神経ベラを用いて硬膜を押さえたり硬膜と椎弓の間を探ったりしたこと、またはミエログラフィーをしなかったので切除の範囲を誤り、追加椎弓切除をしたところ硬膜が急に膨隆したので残存した椎弓で脊髄が押さえられることになったことの二つがその原因であると主張している。

そこで、前記認定事実を前提として被告東の右各行為と原告の前記機序による症状悪化との間の因果関係の存否及び被告東の責任の有無について勘案する。

(一)  まず、手術後の浮腫については、これが原告の主張する神経ベラ操作やミエログラフィー不実施による部分切除の追加の問題と直接の関係を有しないことは明らかである。

(二)  次に、回復傾向を示していた原告の症状が再び悪化したことの原因としてかなり高い可能性があると考えられる瘢痕組織による新たな頸髄圧迫や広範囲に椎弓を切除した後の残存頸椎の不安定性・可動性の影響の問題は、当時一般に採用されていた桐田式広範囲同時除圧法それ自体の問題であり、右桐田方式を採用したことを非難するならば別であるが、本件で原告が主張する神経ベラ操作やミエログラフィー不実施による部分切除の追加の問題とは直接の関係を有しないことは明らかである。

(なおこの際右の点についても付言するに、桐田式広範囲同時除圧法を実施することに伴って生ずるこれらの問題については、〈証拠〉によれば、当時から既に指摘されてはいたもののこれを避ける確実な手段がなく、その後の椎弓形成的脊椎管拡大術等の新たな術式の開発に待たねばならなかったことが認められ、したがって、仮に原告がその主張を追加したとしても、原告の症状が再び悪化したことについて直ちに被告東の責任を問うことはできない。)

(三)  しかし、手術後の症状の少なくともある部分は、手術ないしその関連操作などによる脊髄の不全損傷に起因すると考えられることは前記のとおりである。したがって、仮に右の不全損傷については、それが、本件で問題とされている神経ベラ操作による硬膜の圧迫あるいはミエログラフィー不実施による部分切除範囲の追加・拡大など被告東の行為に起因し、かつそれが同被告の過失によるものと評価できるとすれば、再び悪化するまでの原告の症状の少なくともその一部については被告東の責任が問われるべきことは明らかであるし、更には、それ以後の症状についても、前記瘢痕組織などの問題で新たに付加されてきたと認められる以外の部分については、それまでの症状が残存・継続したものとして被告東の責任が問題となる余地は十分にある。そこで、前記の脊髄の不全損傷が生じた原因が被告東の右各行為に基づくものであるか否かについて検討する。

(1) まず神経ベラの操作について案ずるに、被告東が神経ベラで硬膜の上から拍動の有無を調べたり、硬膜と椎弓の隙間にこれを挿入したりした事実については当事者間に争いがない。しかして、〈証拠〉中には、同被告はこれらの操作は極めて慎重に愛護的に行い、硬膜には軽く触れた程度であるとの供述がある。そして、〈証拠〉もこれと同趣旨の供述をしており、特にこれに反するような証拠もないし、また前記のごとく被告東は本件手術当時一〇年以上の経歴のある整形外科医であって脊髄の手術についても若干の経験はあったのだから、当然脊髄の易損性、特に病変のある脊髄のそれが高いことは十分了解していたはずであって、そのように慎重に操作した旨の供述は十分信用するに足りるものと考えられる。もっとも〈証拠〉によると、易損性の高まった脊髄に対しては微細な衝撃であっても損傷が生じることがあると認められ、したがって神経ベラ操作によって脊髄損傷が生じた可能性を否定しさることはできないが、〈証拠〉によれば慎重に愛護的に行えば神経ベラで硬膜に触れることや椎弓と硬膜との間に挿入することはさほどの危険性を伴うものではないと認められるし、しかも本件の場合にあっては後述のごとくそれ以外の原因で右損傷を生じた可能性も大いにあるわけであるから、これらの諸事情を総合考慮すれば神経ベラ操作がその原因である蓋然性は高くはないものと判断される。

証人桐田の証言中には、脊髄の易損性の高まっている場合、硬膜に刺激を加えることは絶対禁忌である旨の供述があるが、同証人の証言によれば同証人は椎弓切除の手術の場合によっては硬膜を切開して歯状靭帯を切離していたと認められ、同証人は硬膜の切開等について特に危険性はないと供述しているが、これは当初の供述とやや矛盾しているところ、証言の文脈からすると同証人は被告東が硬膜を「押さえた」ということを前提にしてこれを非難していることが窺われ、慎重に愛護的に触れた程度であるとの前記認定に照らすと直ちに前記供述内容を本件事案にあてはめるのは不都合であると考えられる。

よって、被告東の神経ベラ操作により脊髄の不全損傷を引き起こし前記の症状悪化を生じさせたものと認めることはできず、他に右事実的因果関係の存在を認めるに足りる証拠もない。

(2) 続いてミエログラフィー不実施による切除の範囲の判断の誤りと膨隆時の残存椎弓縁による損傷について案ずるに、当時広く採用されていた桐田式広範囲同時切除術の開発者である証人桐田は、あらかじめ広範囲に同時に椎弓を切除しなければ膨隆時に脊髄が残存椎弓縁によって損傷される危険が大きい、そこで追加椎弓切除せざるを得ないような事態を避けるようミエログラフィー所見で通過障害がある部分を確定し、それよりも一ないし一・五椎弓広く切除しなければならないと供述しており、確かに〈証拠〉によれば桐田式広範囲同時切除術が考案されるに至った動機はこのような理由であったことが認められる。右供述によればミエログラフィーは切除の範囲の判断に不可欠なものと考えられるが、〈証拠〉によれば広範囲同時切除法には第三ないし第七頸椎切除を基準とするものもあることが認められるところ、この場合でもミエログラフィーは脊髄圧迫の原因を知り治療方法を立てる上で必要であり、実際にも当時は、椎弓切除を行う場合例えば造影剤に過敏であるなどの極めてまれな症例を別にすれば、術前にこれを実施するのが通常であったことが〈証拠〉から認められ、これらの事情や〈証拠〉を総合するとミエログラフィーは補助診断法に過ぎないとはいえ、治療方法の決定に重要であって、少なくとも椎弓切除を行うにあたっては不可欠であったと考えられる。そして前記認定によれば、被告東も、これに従って一旦はミエログラフィーの実施を予定していたが、当日発熱で中止され、その後手術までの間に機会はあったのに結局これを省略して手術に臨んだものであり、これらの事情によれば被告東が術前にミエログラフィーを行わなかったのは不適当な措置といわざるを得ない。

しかしながら、ミエログラフィーを実施しなかったことが、原因となって直ちに、被告東の切除範囲判断の誤りによる追加椎弓切除の施術、膨隆時の残存椎弓縁により原告の脊髄不全損傷の発生へと因果の関係がつながったと言えるか否かはまた別の問題である。

まず同被告の切除範囲の判断に誤りがあったという前提として、術前から第三頸椎に圧迫があったといえるかどうかの点についてみるに、確かに前記認定によれば第四ないし第六頸椎椎弓を切除したところまだ硬膜は膨隆せず、第三頸椎椎弓の下半分及び肥厚した黄色靭帯を切離して膨隆があったというのであるから、当初から第三頸椎高位においても圧迫が存在した可能性が相当存するところであるが、〈証拠〉によれば椎弓切除によって硬膜と脊髄の位置が移動し、新たな通過障害が生ずることも稀にあることが認められ、また〈証拠〉は、本件の場合、手術直後の両上下肢の運動障害が出現したその中枢側の高位からみて、かかる硬膜と脊髄の位置が移動したためであるとの推論の余地も考えられなくはない旨供述しているところであり、そもそも第三頸椎高位の圧迫が術前からあったと断定すること自体にも疑問がないわけではない。

更に術前から通過障害があったとしても、〈証拠〉によれば、当時の技術ではミエログラフィーで必ず判明するというものではなく、わからない可能性も残ることが認められ〈証拠〉によって認められる原告の主訴・病歴・症状及び筋電図所見等の診断材料も存する下で、補助的診断法であるミエログラフィーを実施したとき、切除部位の範囲として当初から第三頸椎がその対象に入っていたはずであるとも言い切れない。

続いて膨隆時の残存椎弓縁による損傷の点についてみるに、〈証拠〉によれば、現在において桐田式の手術法は批判されていてほとんど採用されておらず、除圧の同時性にさほどこだわる必要はないとする見解が支配的となっており、また除圧の範囲についても責任病巣に限った方がよいとの見解も有力に出されているような状況であることが認められ、したがって残存椎弓縁による脊髄損傷の危険性は〈証拠〉が言うほどは重大視する必要に乏しいと考えられる。

なお、〈証拠〉中にも、切除の範囲はミエログラフィー所見の通過障害高位から一ないし一・五椎弓頭尾側に広い範囲とし、椎弓縁と脊髄間の緊縛所見があれば追加切除する旨の記載があり、このことなどからみても、本件手術当時に追加椎弓切除を絶対避けるべきであるとする見解が医療の現場において浸透していたとも認められない。したがって、被告東が追加椎弓切除を行った行為についてさほど危険性の高いものと評価することはできないと思われる。

もっとも原告の脊髄は前述のように易損性が高まっていたと見られるのであるから、原告主張の膨隆時の残存椎弓縁による損傷の可能性も全くあり得ないことではない。しかし〈証拠〉によれば、圧迫障害により易損性の高まっている脊髄は、極めて軽微な圧迫、術中の血圧低下や局所の循環動態の変化などでも障害されやすい状態となっており、そのために、麻痺のための気管チューブ挿管の操作や、出血などによる血圧低下や、手術中の頭部、頸椎の位置などによっても頸髄損傷が発生し得るところであることが認められ、原告主張の膨隆時の残存椎弓縁による損傷によって生じたものか、それ以外の原因によっても生じたものかを特定することができない。現に〈証拠〉によれば、手術直後に両上、下肢の運動障害の生じたのは、ほぼ第五頸髄節(第四、五頸椎間)あたりから下位頸髄の灰白質等の障害かと考える旨述べられているのである。

したがって、結局、原告主張にかかる被告東の右行為と手術後の脊髄不全損傷による症状悪化との間にも、事実的因果関係の存在を認めることができず、その他に右存在を認めるに足る証拠もない。

(四)  以上の次第で被告東の各行為と原告の症状悪化との間には事実的因果関係の存在自体が認められず、したがって、その余の点について触れるまでもなく、同被告は症状悪化による損害賠償責任を負わない。

2  ミエログラフィーを術前に実施しなかった点に関する被告東の責任

右のように、被告東の行為と原告の症状悪化との間には因果関係が認められないといわざるを得ないのではあるが、前述のとおり被告東はミエログラフィーを手術前に実施しなかったのであるから、この点を独立の不法行為と評価し得ないかについて判断を加える。

(一)  いうまでもなく被告東は、医師として患者を治療するに際し、医療水準に則った、症状の医学的解明とこれに基づいた治療行為をなすべき一般法上の義務を負っており、前記症状の原告に対し、椎弓の広範囲同時切除術を施すにあたっては、既に前記三1(三)(2)で述べたごとく、当時の医療の一般的水準からみて術前のミエログラフィーの実施は必要不可欠の基本的診断法であったのであるから、これを行い、通過障害部位の確定や切除範囲の判断を慎重細心に行うべきであった。しかるに同被告は、漫然これを省略して本件手術を行ってしまったものであり、したがって被告東の右所為は違法であり、同被告はそれから生じた原告の被害につき少なくとも過失責任を負うものと考えられる(〈証拠〉中にはミエログラフィーを省略したまま手術を実行したことにつき、「いささか蛮勇を振るったとの謗りはまぬがれ得ない」との記載がある。)。

なおこの点に関し、被告らは、当時ミエログラフィーに使用されていた油性の造影剤は残留による後遺症の問題があり、また代替手段を講じていると主張するが、前記認定のとおり一旦術前にミエログラフィーを予定していたし、また〈証拠〉によると術後に実施していることが認められ、これらの事情によれば特に後遺症を心配して省略したわけではないと推認されるし、前掲各証拠によれば副作用の心配と比較しても効用の方が大きく後遺症問題は省略の有効な理由とはならないと考えられ、更に断層X線撮影や神経症状の把握等の代替手段は必ずしもミエログラフィーのように視覚的に通過障害をとらえることができるものではないことは明らかで、代替手段も不十分であったと評価せざるを得ないのであって、右主張はいずれも採用しがたい。

(二)  ところで原告は、本件椎弓切除術を受けるについては、前述のところから明らかなごとく、原告の脊髄が圧迫障害によって易損性が高まっていたため、右手術に相当の危険性が伴い、かつ万一損傷を生じた場合には重大な後遺障害となって残ることが予測されたのであるし、そのうえこの損傷の内容、原因さえも突きとめることがむずかしいなどの諸事情があったのであるから、担当医において医療水準上右手術に必要不可欠な基本的診断法(ミエログラフィーは前述のとおり将にその一つであった。)を当然実施してくれるものと期待しており、その期待は、本件のような重い後遺障害を残す場合にあっては、直接身体そのものの侵害ではないとしても、その外縁にある人格的な利益として、十分法的保護に値するものと考えられる。

しかるに原告は、その期待に反し、担当医であった被告東から基本的診断法たるミエログラフィーを実施してもらえず、これを省略したまま本件手術を施された。そしてその際術前に予定した第四ないし第六頸椎の切除のみでは硬膜の膨隆拍動の出現がみられず更に第三頸椎の下縁から半分ほど追加切除しなければならなかったものであり、またこの手術は前記のごとき症状悪化をきたした。このような場合、前述したごとくミエログラフィーの省略によって右症状悪化が生じたものとは未だ医学上も証拠上もいい得ないとしても、期待に反した手術を施された患者原告としては、通常、もしミエログラフィーを試みてもらっておれば担当医が術前に第三頸椎の通過障害を発見し最初から第三頸椎を含めて切除するなど手術の態様等が異なりその結果現在のような後遺障害に苦しむことはなかったかもしれないと考えるであろうし、それは無理からぬところである。原告は過去、現在、将来にわたりこのような可能性の芽を摘まれそれが今さらどうしようもないことに対する憤り、無念さ、悲しさにかられ、あるいはそれらのために、不治の後遺障害をもまた天命、運命であったものとしてこれを受容するような境涯に至りにくく、それらの分だけ余分に後遺障害に伴う精神的苦痛を耐えていかなければならなくなった。原告が受けるこれらの精神的苦痛は、察するに余りあるところであり、これを金銭に見積るならば二〇〇万円をもって相当と判断する。

なお、原告は明示的には前述のような適切な診療行為を期待する利益の侵害としての不法行為を主張しているわけではないが、ミエログラフィーの省略を被告東の過失として主張している以上、当然右のような期待利益侵害の主張も包含されると考えられるので、弁論主義違反の問題は生じない。

(三)  したがって被告東は右不法行為に基づき原告に対し金二〇〇万円の損害賠償をなすべき責任を負う。

四  被告同仁会の責任

被告同仁会が本件事故発生当時被告東を雇用し、被告東が被告同仁会の経営する耳原総合病院の整形外科担当医として本件手術を行ったことについては当事者間に争いがない。してみれば被告同仁会は被告東の使用者として同被告と連帯して原告につき生じた前記損害を賠償すべき責任を負う。

五  結論

以上の次第で、原告の請求は、被告らに対し各自金二〇〇万円及びこれに対する不法行為の後の日である昭和五二年一月二八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを廃却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笠井達也 裁判官 高橋文仲、同 坪井祐子は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 笠井達也)

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